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深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

コーラを聖なる水に変えた人々

コーラを聖なる水に変えた人々―メキシコ・インディオの証言 (インディアス群書 2)

バリに行った話をSacra Cafeの夫妻に話したところ、薦められたので読んでみた。なんといっても、このタイトルだけでもうグッと来るじゃないか。

 

グアテマラと国境を接するメキシコ・チアバス州、チャムーラに住むインディオの親子2代にわたる証言録。第一部は父・ファン・ペレス・ホローテの話、第二部は息子のロレンソ。第一部は、独立した本として刊行されており、第一部の続編として第二部をつなげて刊行された。

 

 

西欧文化と土着文化の関係

バリ島で考えていたのは「近代化」ということだ。日本の場合、近代化によって、前近代をほとんどあっさりと手放してしまったかのように見える。しかし、バリでは近代化を受け入れつつ、アイデンティティを守られていた。スマホを熱心にいじってても、宗教儀礼は欠かさないのだ。

 

インディオの宗教はカソリックということになる。教会があり、イエス・キリストを信じている。けれども、独自の死生観もまた同時に存在しているのだ。例えば、人間には霊魂とともに、チュレルという守護動物が生まれたときから存在しており、その守護動物が死ねば、その人間も死ぬとか。イロルという呪術師がいて、彼らが祈りによって病気を直してくれる。全近代的な世界観と、近代的な世界観とが、微妙でありつつ確固として存立する。

 

わしの村では、人が病気になるとろうそくや香、鶏やポッシュ(酒)、それにコカ・コーラで治す習慣なんだ

 

しかも脚注によれば

 

なお、イロルによってはコカ・コーラではなくペプシを、あるいはファンタを用いる場合もある

 

とのこと。

 

他にも、彼らが大切にする羊や、伝統衣装に使われる羊毛、祭儀で使用するろうそくなども西欧文化からの輸入品。「伝統」と「西欧近代文化」とが分かちがたく混合されている。

 

「このように、西欧文化に対置されるものとして伝統文化=インディオ文化という考え方が、文化の実装を反映していないことは明らかであろう」(解説)

 

「支配的文化の一部をインディオ化し、自らの価値体系の現代性を維持することによって自己の存続を確保する、チャムーラ文化のたくましい生命力であり、彼らの現代との主体的な関わり方である」(解説)

 

可変と不変

最近、僕が考えていることは、「何を変化させることができて、何を変化させることができないか」だ。インディオは、聖水はコーラでもいいと考える。けれども、それは「聖水」としての役割を果たさないといけない。そうやって、変化を加えると同時に変化を加えないことで、自らの文化を守ってきた。翻って日本は、「何を変化させないか」についての見通しが立てられなかった。それによって、近代と全近代の間に深い断絶が生まれた。