深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

宮本常一「忘れられた日本人」抜き書き

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

P20

(寄り合い)

そういう場での話し合いは今日のように論理づくめでは収拾のつかぬことになっていく場合が多かったと想像される。そういうところでは喩え話、すなわち自分たちの歩いてき、体験したことに事寄せて話すのが他人にも理解してもらいやすかったし、話す方も話しやすかったに違いない。

 

P25

「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ村の者ならあれは誰だとわかる。相手も歌を歌う。歌の文句がわかるほどのとこおなら、おおいと声をかけておく。それだけで相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる……」

民謡が、こういう山道を歩くときに必要な意味を知ったように思った

 

P39

他人の非を暴くことは容易だが、暴いた後、村の中の人間関係は非を持つ人が悔悟するだけでは解決しきれない問題が含まれている。……年をとった物分かりのいい女の考え方や見方が、若い女たちの生きる指標になり支えになった。何も彼も知り抜いていて何も知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろのひずみをため直すのに重要な意味を持っていた。

 

P40

田植えにも草取りにも稲刈りにも同じ田の面で働いていると、どこの誰がどんなに働いているかもひと目でわかって、うかうかと怠けることすらできない……。それに、日頃の生活は至って単調で、一本の道をはてしなく歩いていかなければならないような日々である。

 

P56

西日本では伝承されるものが家に属するものよりも、村全体に冠することが多く、東日本ではそれが家によって伝承せられることが多いのではないか

 

P103

そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、誰に命令せられるということでなしに、ひとりひとりの行動に自ずから統一ができているようである

 

P118

笑い話の対称となる素材の多くは言葉遣いであった。村へ戻ってきては村の言葉を使わねばならぬが、一方では場所言葉も十分心得ていて、出るところへ出ればちゃんとした物言いのできることが、甲斐性のある女の条件であった

 

P124

能率を上げれば収入も増えるので田植えのおしゃべりも次第に少なくなりつつある。話してもそれがひとつの流れをつくらないで断片的な話になる

 

P127

植え縄をひいて正条植をするようになって田植唄がやんだ。田植唄がやんだからといって黙って植えるわけではない。絶えずしゃべっている。

 

 

P128

田植唄の中身にセックスを歌ったものがまた多かった。作物の精算と人間の生殖を連想する封は昔からあった。正月の初田植えの行事に性的な仕草を伴うものが極めて多いが、田植えの時のエロ話はそうした行事の残存とも見られる

 

P160

レプラ患者

「こういう業病で人の歩くまともな道は歩けず、人里も通ることができないのでこうした山道ばかり歩いてきた」……そういうもののみの通る山道があるとのことです

 

P163

「盗人の通る道もあるのだから、カッタイ病の通る道もあるでしょう」

 

P222

落書きは庶民レジスタンスとして盛んに利用されたものであるが、ここでは完全にからかいであった

 

P251

文盲

 

左近翁も若い時はこうした噂の中にだけ生きてきた。そしてそういう中にあっては人を疑っては行きて行けぬものであった。疑うときりがないものであった。だから一度騙されると今度はないモカも信用できなくなるという。文字のない世界はそれだけにまた人間も間の抜けた気楽さと正直さがあったが、見知らぬ世間の人はできるだけ信用しないようにした

 

P260

 

文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳から聞いたことをそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志は少なく、仮にそういうもののある人は伝承者にはならなかった。つまり伝承者として適しなかったから、人もそれを聞いて信じまた伝えようとする意志は乏しかった。……文字に親しむものは耳で聞いただけでなく、文字で読んだ知識が伝承の中に混入していき、口頭のみの伝承の訂正が加えられるものである。が、世間は「あの人の話は書物で読んだのだからたしかだ」と信ずる傾向がある。しかし、それは今まである村の伝承とは食い違いがあり、村全般のものに鳴ることはすくなく、その人が文字で表現しない限りは、その人からちょくせつきいたか、また間接に聞いたものだけが神事、一般の村人はその人をただ偉い人としてのみ記憶している。

 文字を持つ人々は文字を通じて外部からの刺激に極めて敏感であった。村人として生きつつ、外の世界が絶えず気になり、またその歯車に事故の生活を合わせていこうとする気持ちが強かった。

 

P270

文字に縁の薄い人たちは自分を守り、自分のしなければならないことは誠実に果たし、また隣人を愛し、どこかに底抜けの明るいものをもってあり、また共通して時間の観念に乏しかった。とにかく話をしても、一緒に何かをしていても区別のつくということがすくなかった。「今何時だ」などと聞くことは絶対になかった……。ただ、朝だけはめっぽうに早い。

ところが、文字を知っているものはよく時計を見る。「今何時か」と聞く。ひるになれば台所へも声をかけてみる。すでに24時間を意識し、それに乗って生活をし、どこかに時間に縛られた生活が始まっている。

 

P306

あとがき

ひとつの時代に会っても地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と更新という形で簡単にわりきってはいけないのではなかろうか。またわれわれはともすると前代の世界や自分たちより火葬の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向が強い。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、ご本人たちの立場や考え方になってみることも必要ではないかと思う