深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

「人間の建設」岡潔、小林秀雄_抜き書き

 

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

 

 

 

 

P14
岡潔 自己中心に考えた自己というもの、西洋ではそれを自我と言っております。仏教では小我といいますが、小我からくるものは醜悪さだけなんです。

小林 今の絵描きは自分を主張して、ものを描くことをしないから、それが不愉快なんだな。物を描かなくなって、自分の考えたこととか自分の勝手な夢を描くようになった……おもしろい絵ほどくたびれるという傾向がある。人をくたびれさせるものがあります。物というものは、人をくたびれさせるはずがない

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岡潔 個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。個性はみな違っているが、他の個性に共感するという普遍的な働きを持っている。おsれが個性の本質だと思いますが、そういう不思議な事実が現前としてある。

39
岡潔 数学の体系に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、めいめいの数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはいえないということが初めてわかったのです。じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。……心が納得するためには、情が承知しなければなりません。

45
岡潔 時間というものは、強いてそれが何であるかといえば、情の一種だというのが一番近いと思います

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岡潔 素朴な心に返って、時とはどういうものかと見てみますと、時には未来というものがある。その未来には、希望を持つこともで着る。しかし不安も感じざるをえない。誠に不思議なものである。そういう未来が、これも不思議ですが、突如として現在に変わる。現在に変わり、さらに記憶に変わって過去になる。その記憶もだんだん遠ざかっていく。これが時ですね。……時というものがなかったらいきるとはどういうことか説明できません。

69
小林 ベルクソンは若い頃にこういうこととを言っています。問題をだすというのが一番大事なことだ。うまくだす。問題をうまく出せば、すなわちそれが答えだと。

103
自然数の1を知るのはだいたい生後18カ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてにこにこ笑うようになる。つまり肉体の振動ではなくなるのですね。そういう時期がある。そこで1という数学的な観念と思われているものを体得する。

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世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親の情はわかるが、自他の別は感じていない。時間という観念はまだその人の心にできていない。そういう状態ではないかと思う。そののち人の心の中には時というものが生まれ、自他の別ができていき、森羅万象が出来ていく

115
岡 詩人もそういうことをやっているわけです。それはどういうことかといいますと、言葉というものを詩人はそれくらい信用しているという、そのことなのです。言葉の組み合わせとか、発明とか、そういうことで新しい言葉の世界をまた作り出している。それがある新しい意味を持つことが価値ですね

129
岡 証明さえあれば、人は満足すると信じて疑わない。だから数学は知的に独立したものであり得ると信じて疑わなかった。ところが知には情を説得する力がない