深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

猫田道子「うわさのベーコン」_抜き書き

 

うわさのベーコン

うわさのベーコン

 

 名著

 


私がこの家に生まれたときから、私の身近には楽しい音楽がありました。これは、きついレッスンにたえていく音楽ではなくて、私の生活の一部となっていました。

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「僕には島根に彼女がいます。」
「それでも私はいいです。どうぞ交際を続けてください。私は貴方と結婚出来ればいいのです。」
普通ではない。6月末までお待ちしております。それ以降はよしてください。
「何故六月?」

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一辺、そのフルートの先生にあってみたいな」と回り道しながら言うと、おミッちゃんには事割れてしまう。仕方がないから学校の音楽の先生へなる為の勉強を始める。
 こんなことをしているあいだに、五月はもう少しで始まってしまわれる。

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今月は、六月の次だから、もう、私に来てくださる男があらわれたとしても、はじめから結婚相手として見て上げません。光司さんが今から来ても許して上げません。それに、あの短大には、もう、行きたくない。

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線香花火が何本かあって、ロケット花火が日本。どれも小さいものだったので、御近所に御迷惑は掛からないだろうと思っていたら、私達が花火をする前に、ゆうれい話を人から聞かされて、花火をするのに怖かった。

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「以前、私は、こうしていきたいと言いましたが、今は、その逆の場合もありますので、あまり第一印象にこだわらないでくださいますか?」前のも今飲も、その時の私の素直な気持ちなのです。Tさんが、私のあの時がああだったから、この時はこうしようと思われて、私にそれをやれとおっしゃられても、かえって迷惑です。私にTさんを紹介してくださった人は悪くありません。音楽を続けようという私の意志が、原因だと思います。ちなみに、その人は、『私やTさん』とは関係なく、音楽が好きだと言っていました。

私がやりたかったのは、私が幼いころ、私の家族がやっていた音楽です。出来ますか?

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せっかく助かる命も、私の我侭を通してもらって、先生に手術を2回もやってもらったお陰で、いづれ死ぬ人になってしまいました。私を世話してくださる人は大変でしょう

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私は死にました。死ぬ一日前に私の知っている人々がほとんど来てくださいました。その時は、まだ医者に私が死にそうとは誰も聞いていませんでした。皆が帰って後、しょうとう時間となり、もう、私は生きていけそうにもなれず、ブザーを押して看護婦さんを呼びましたが、看護婦さんが来られた時は、私はもう死んでいました。
 家族が来たのがその後です。

私はそうしきをしてもらいました。その時、普段泣かない人も泣いていました。私は成仏できそうです。
おわり

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先生は言いました。
「もし、ソプラニーノの声だとしても……。」
先生は言ってしまいました。
加奈子、先生をかえるか!!
両親に相談してから決める。
加奈子は家に帰って両親に相談しました。そして、先生をかえることになりました。

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「空さんこんにちは。今日もいい天気ですね」
と、正一が空に話しかけていると、空もそれにはんのうし、ニコニコとしてくれました。すると、正一の方もニコニコ顔になり、いい気分で家へ帰って行きました。