深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

ニューオーダーについてと、演出挨拶の決定稿

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明日から東京公演の本番です。

かもめマシーンの公演を見ても、全然スッキリした気持ちにはなれないし、明確な答えを提出することはありません。多分、泣けることもないと思います。問いを共有し、問いに対して向き合うために、そして問いを通してコミュニケートするために作品を作っています。僕は演劇とはそういうものだと思っています。

東日本大震災から3年を経て、今回は土地というテーマから問いを立ち上げました。上演時間は65分です。ぜひご来場ください。当日券もあります。

 

チケットフォーム→https://ticket.corich.jp/stage/apply.php?sid=53248&sdn=1

 

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演出挨拶の決定稿

 

ニューオーダー』という作品は、土地をめぐる話です。

 土地は、売買の対称にもなるし、家の敷地や耕作地としての意味も持ちます。あるいは、人の思い入れ、記憶、歴史、そういった部分も土地は吸収しています。また、多くの戦争が土地を巡って争われたりします。

 「土地とは人間のようなものなのではないか」と思います。人間も「社会人」であるといった職業や、役割としての「父」や「母」、あるいは「いい人」「悪い人」といったように、少なからず記号化されて存在しています。人間も土地も、それそのものとして接することはなかなか難しいものです。

 土地を追われること、あるいは、土地を諦めること、そんな人々の光景を、震災後多く目にしました。彼らの土地への関わり方は、例えば、僕のような、利便性に基づいて居住地を決めるような方法とは全く異なっています。「先祖代々の土地」というニュアンスを、僕はまだ理解することができません。かつては、その「縛られているような感じ」を疎ましくさえ思ったものですが、今は、それを理解したいと思っています。それを理解することが、この先の未来を想像するのに欠かせないと思うからです。

 311日、電車が止まり、帰宅をすることができない人がたくさんいました。仕事も、住む場所も「東京」と一括りにして生活していたはずなのに、電車がなくなったら帰ることすらもできない場所にいます。つまり、ここは「東京」なんていう一様な場所ではありませんでした。

 意識せずとも、人間が身体をすでに持ってしまっているように、意識せずとも、僕らは土地の上に立ってしまっています。土地が揺れ、また、土地が汚された今、僕らは土地に対して何を求めているのか、あるいは土地が僕らに対して何を求めているかを考えることは、これから、この社会をどのような形にデザインしていくかという根幹に関わることです。

 

 現在、ここに存在するために、あるいはこれから、どのように存在していくのかを見据えるために、僕は、僕と土地との関係を考えています。