深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

「ニューオーダー」演出挨拶下書き

f:id:hgwryt:20130412143948j:plain

来週金曜日から東京公演です!

https://sites.google.com/site/kamomemachine/next

 

ニューオーダー』という作品は、土地をめぐる話です。

 

土地とは、面白いもので、売買の対称にもなるし、家の敷地や耕作地としての意味も持ちます。あるいは、人の思い入れ、記憶、手触り、そういう部分も土地は吸収します。他にも、多くの戦争が土地を巡って争われたりします。

 

 

人間は、土地を「土地そのもの」とはみないわけです。これは何かに似てるなと思ったら、「人間のようなものなのではないか」と思い至りました。人間も、人間そのものではなく、「社会人」であるとかの職業、役割としての「父」や「母」、あるいは、「いい人」「悪い人」といったように、少なからず記号化していかないと、これはもうやっていけないわけです。「本当の私を知ってほしい」と言われても、「本当のあなた」を知るためには、ずいぶん長い時間を費やさなきゃならない。そんなに暇じゃありません。

 

土地を追われること、あるいは、土地を諦めること、そんな人々の光景を、震災後多く目にしました。彼らの土地への関わり方は、例えば、僕のような、利便性に基づいて居住地を決めるような方法とは全く異なっています。かつては、その「縛られているような感じ」を疎ましくさえ思ったものですが、今は、それを理解したいと思っています。それを理解することが、この先を想像するのに欠かせないと思うからです。

 

3月11日、電車が止まり、帰宅をすることができない人がたくさんいました。仕事も、住む場所も「東京」と一括りにして生活していたはずなのに、電車がなくなったら帰ることすらもできない場所にいます。つまり、「東京」なんていう一様な場所ではなかったのです。

 

意識せずとも、身体をすでに持ってしまっているように、意識せずとも、僕らは土地の上に立ってしまっています。土地が揺れ、土地が汚された今、僕らは土地に対して何を求めているのか、あるいは土地が僕らに対して何を求めているかを考えることは、これから、この社会をどのような形にデザインしていくかという根幹に関わることではないでしょうか。

 

ここに存在していることを認めるために、あるいはこれから、どのように存在していきたいかを考えるために、僕は僕と「土地」との関係を考えています。