読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

深川日記

演劇は劇場の中だけで行われているわけではない

志賀理江子「螺旋海岸notebook」抜き書き

 

螺旋海岸 notebook

螺旋海岸 notebook

 

 

P13

本当になにも存在しないかもしれないとう切羽詰まった感じだったから、心の底から確かに信じられるものがどうしても必要だったんです。例えば走ってはあはあって息をした時の苦しい感じとか、思い切り叫んで息が続かなくなる寸前のしびれとか、……そうすると精神がすごく静まるんです……その頃は生活環境と体で駆け引きをしていたと思います。

 

P14

どんな仕組みなのかもわからない「カメラ」という機械だったけど、これさえ使えば目の前の現実がその瞬間は思い通りになる。この気持ち悪い体から、運動することよりもはるかに確立が高く抜け出せて、自分が思い描くイメージの世界に飛んでいける

 

P21

私はまたふたたび東北に戻るための具体的な地図を作りたかった。この図が指示するのは、フィールドワークや文献などによるリサーチの方法ですが、これらによって得ることができるであろう細かな要素が、図の中心部にある「action=撮影」という部分に引き継がれていって、最後にその角、「歌」のようなものに到達するのではないかと

 

P63

時間を湛えたからだが器としてこの土地に「ある」という事実が私には強さに見えたんです

 

P64

止まることのない時間を湛える方法として「忘れた」ということがあり、沈黙を破る手段として半ば確信犯的に同じ話が呼吸のように繰り返される……「どこさもいかね」「忘したわ」というのは過去現在未来をつないでいるのです。それは流れる時間への抵抗であり、二度と繰り返されない「忘れた」ことへの想像力なのだと思ったんです

 

P65

話された内容は理解しきっているので唱えているうちにドンドンといしきしなくなっていくのですが、代わりに何度も繰り返される口癖や言い回しや訛りなどが「歌」のように音になって体に入ってくるのがわかるのです。

 

P66

 

長い時間個人の身体に溜まったイメージは、その言葉が向かう事実の羅列よりも、その間にある「歌」のような「音」にこそある。その言葉は「いつどこで誰が」ということに全く縛られていないし、音として繰り返される度に強度を増していくのです。

 

P69

お神さま

 

こういう風に密に空間がつくられて、対話をするべき人が目の前に座り、場を誘発する音と歌が繰り返されれば、「お神さま」の身体の中にイメージができあがって、叔父さんの言葉が彼女の体から必然的に発せられるのだな

 

P71

自分の体は自分の意識だけでいっぱいになるものではなく、器のような役割も兼ね備えていて、媒体でもある……イメージを体に入れたり出したりするからには、たとえどんなによくないことが起こるのだとしても、やっぱり自分自身が引き受けなければならない

 

P80

そもそもこの世界は「現実」と「フィクション」でできているわけではありません。一言で影といっても、そこに無数のニュアンスが潜んでいるように、世界は無数のニュアンスから成り立っています。

 

108

体の中にある「イメージ」とは、自分の心の感覚のことだと思います……イメージは体の中ばかりにあるものではない。体の外の世界も「イメージ」で満たされている。というよりそのようにこの体が見ている。……「イメージ」は架け橋のような働きをするとおもいます。

 

117

不思議なことなのですが「どうやるのか?」は聞かれても、「なぜそれをやるの?」とは誰も聞かないんです

140

なんていうんだろう、誰かが死んだわけではないけども、写真を取ることがきっかけになって神聖な気持ちを共有したんです

 

144

わからなさはこの世に満ち溢れたいたのに、その豊かさに気づくことができなかっただけなのだと思ったmです。自分では想像もできない様々な価値観やものの見方がせめぎ合っている感覚そのものと言えるのに、それは自分がある対象と関わることで生まれてしまう、個人できである意味やっかいな問題だと勘違いしていたのかも

 

「わかるとはどういうことか」認識の脳科学(ちくま新書)

 

158

私たちは自らのカラダが底なしであることを自分自身の心を通じて知っているから、人間の底知れないわからなさは他人に対する警戒心にもなった。……分からなさの世界に降りて行くことは恐ろしいけれども、そもそも人間が持っている底なしの感覚を解き放つようで魅力的でもある

 

163

撮影は儀式のように進んでいくため、写っている体は常にそこでカメラを意識し、何かを演じつ受けている存在です。「演じること」は何かを装おったまやかしの様相ではなく、むしろなにか一点に向かって突き進む姿のような、体の返信をもたらすことであり、儀式を行う上で欠かせない、つまり枠の中からまったく違うところへ飛躍する力が生み出されるきっかけになると思っています

 

194

もっと大きなものがその後に押し寄せてきて、それはまるで時間が巻き戻っていくようにあらゆる価値観が、その均一な世界からぶわっと噴出して自分を圧倒していったことです。だから、あの夜はどこにつながるのだろうかといつも探している

 

219

もしかしたら私はこの時言葉という方法によって指が写真に触れる以上のイメージとの関係を持つことができたのかもしれないけれども、でも言葉はいつも、どんなときもやさしくはないんです。私にものごとをわかったつもりにもさせるんです。

 

223

私は端的に墓地とは誰かのことを想う空間だと考えていて、あらゆる感情が交差する場であり、そこは人を寄せるんだと。

 

226

「もがり」には死を汚れたものだとか停止、恐れながら行う「鎮めの儀礼」にとどまらない、新しい秩序が内包されていると書かれています。